小学生

女子学院中学校 2024年合格(保護者)

2月4日、慶應義塾中等部一次試験の合格発表があり、無事合格をいただき、娘の中学受験が終わりました。

1月14日の浦和明の星女子中学校から始まり、2月3日の慶應義塾中等部まで5校受験し5戦全勝と終わりましたが、そこまでに至る過程はとても険しい道のりでした。

 

娘がワンズに入塾したのは、4年生の終わり頃からでした。

当時、娘は大手塾で2番手クラスに在籍していました。その塾ではほぼ予習も復習もしない状況で4年生を過ごしてきました。

5年生から中学受験の勉強は量も増え、内容も難しくなるため、ワンズでは学習習慣をつけさせ、主に大手塾のフォローをお願いしたい思いでした。

ワンズ入塾後数日間の授業で、人見知りの娘は先生とコミュニケーションをとることを嫌い殻に閉じこもっていましたが、先生の明るい声掛けや授業中の雑談で一気に距離が近くなり、先生と一緒に勉強をしたいと思うようになりました。

もともと向上心が強い娘は、大手塾で2番手クラスから最上位クラスにあがりたいと言うようになり、どうしたら最上位クラスに上がれるかを真剣に考え出しました。

先生は、上位にいる生徒達は日々勉強をして常に努力をしている。

こつこつ頑張ることができるようになれば、きっと上位になれると具体的なアドバイスをいただき、娘も理解しました。

 

そして、迎えた5年生5月のクラス分けテストで良い結果を出し、娘は自信をつかむことができました。

そんな中、女子学院を第一志望に決めるきっかけとなったのは、5年生10月に参加した文化祭(マグノリア祭)でした。

文化祭での知性と気品にあふれた在校生を見て入学を切望したようです。

 

5年生は2番手クラスまたは最上位クラスの成績を収めていました。

しかし、入試まで約1年の時期にゲームに興じ勉強を怠るようになりました。

そんな娘のふるまいを見て、私と妻は、中学受験の撤退も真剣に考え、先生に相談しました。

先生は、私たちとの面談後、娘に受験が終わるまでの1年間は大事な時間だからゲームをやめ、勉強に専念しようと固い約束を交わしてくれました。

そしてこの危機を脱することができました。

その後、娘は受験学年として気持ちも入れ替え、6年生の5月以降、先生の熱誠指導も勉強に打ち込み、最上位クラスをキープすることができました。

 

第一志望校先も5年生後半に女子学院に決まり、6年生4月よりワンズの授業がない日曜日は、学校別対策の女子学院コースに通うことになりました。

娘は学校別の授業でわからない問題があったときはワンズで先生に質問し、復習を徹底しました。

この習慣が合格につながる一因であったと思います。

12月最後の模試で自己ベストの成績を収め、このまま本番までいくかと思っていた矢先、12月下旬から1月初旬に成績が下降しました。

1月初旬の女子学院の模試で不合格判定とクラスダウンし、娘は大きなショックを受けました。

その時、先生は娘を励まして下さり、精神面でも支えていただきました。

 

1月中旬の初戦は浦和明の星女子中学校でした。

私たち両親は受験会場へ娘を送り出しました。

その後ろ姿を見て、ここまで無事歩んでくれたことに感謝しました。

会場から出てくると、あまり緊張感はなく、試験の感触もよかったとのことでした。

 

2月1日、女子学院を受けました。

緊張感があると思っていましたが、最寄り駅で私と娘は冗談を言い合い、娘は試験会場に入っていきました。

私は親として娘の受験に対してやれることはやったと思いました。

試験後、学校の講堂で待っていましたが、試験が終わって娘と対面し安堵しました。

 

2月2日、女子学院の合格発表時、娘は青山学院の受験中でした。

妻が発表時間の11時に結果をインターネットで確認。

その後、私の携帯電話に連絡がありました。

どうだったのか、おそるおそる私が妻に聞くと合格したと返答があり、あまりの嬉しさに涙がこぼれ落ち、電話ごしで二人は泣きながら娘の合格を称え合いました。

 

その後、青山学院から受験後に会場から出てきた娘に女子学院合格は知らせず、午後受験の中央大学附属横浜へ向かいました。

中央大学附属横浜に無事到着。

昼食場所の体育館でお弁当を食べながら談笑をしました。

そこで女子学院に合格をしたことを伝え、娘にインターネットで合格していることを確認させました。

娘は喜びを隠しきれない様子でしたが、中央大学附属横浜も合格を勝ち取ってくるねと頼もしい言葉を残し、体育館から受験会場に向かって行きました。

 

入試まで浮きしずみはありましたが、その度に、時には厳しく、時には励ましの言葉をいただき娘が頑張ってこられたのはひとえに先生のご指導のおかげです。

感謝以外の言葉が見当たりません。

また、先生は娘の模試がふるわなかったり、志望校の選択に悩んだとき等、私や妻が面談を希望した場合、すぐにお時間をつくってくださり相談にのっていただきました。

そして、私どもの教育方針に理解を示され、メールでのお願いごとにも可能な限りご対応いただきました。

この場をお借りして御礼を申し上げます。

 

先生、2年間、娘を女子学院合格へ導いていただき本当にありがとうございました。

女子学院中学校合格(生徒)A.M.さん(2024年合格)

 私は小学1年生の頃から受験勉強を始め、4年生の頃、ワンズに通い始めました。

ワンズに通い始めたきっかけは4年生の時、スランプに陥ってなかなか抜け出せていなかったことでした。

初めの頃は集中力に欠けており、数時間の授業で音を上げていましたが、次第に慣れていき成績も向上していきました。

以前よりサボり癖が抜けて真面目に取り組むことが増え、5年生前半から6年生前半までは安定した成績が取れるようになっていました。

しかし、夏休みに手を抜いてしまったことから、夏休み明けに模試で酷い結果を続けてとってしまい、ひどく落ち込みました。

それ以来努力を重ねてきましたが、正月頃になると受験への焦りや不安から憂鬱な気分になることが増え、成績が落ち込んでしまいました。

 1月校に合格したことで不安が多少払拭され受験に臨むことができました。

2月1日の女子学院の入試後は多少緊張しつつも、手応えがあったので自信につながりました。

女子学院の合格発表を見たのは2月2日の午後でした。

「合格」という文字が大変嬉しく、かつてないほどの高揚感で満たされました。

その後の入試でも合格をいただけたのは先生のおかげです。

先生、今までご指導いただきありがとうございました。

山手学院中学校 2024年合格(保護者)

 ワンズには5年生直前の春期講習のタイミングで通い始めました。それまでは大手塾に通っていましたが、算数がどんどん難しくなり、宿題をこなす事に毎日疲弊していくばかりでした。

もうプロの方に算数のサポートをお願いしようと探し当てた塾がワンズでした。

初めて吉田先生とお話してみて、勉強そのものの面白さや、中学受験に対する教育的な考えを大切にされているお人柄に、我が子をお任せしたいと通塾を決めました。

算数は通い始めてあっという間に成績が上がりました。

初めは算数のサポートを大手塾と並行してお願いしていましたが、最終的には6年生の夏から大手塾をやめてワンズ一本に絞り通塾しました。

 我が子の受験は最初から最後まで、自分に甘く、「本気でできないならばやめなさい。」と親は声を荒げてしまう日々でした。

それでも吉田先生は我が子の性格を理解して下さり厳しくも思いやりを持ってご指導頂き、年明けの受験期も毎日朝から晩までサポートして頂きました。

 我が子の受験はワンズに通って志望校合格に導いて頂いたので、本当に感謝してもし尽くせません。

本当にありがとうございました。

山手学院中学校合格(生徒)K.N.さん(2024年合格)

 僕がワンズに通い始めたのは小学5年生になる直前からでした。

大手の塾に通っていましたが、第一志望校の偏差値に全然届いておらずワンズに通い始めました。 

 最初は大手の塾とワンズを並行して通っていたけれど、

目標の学校に届かないのでワンズ一本に絞りました。

夏と冬の講習はとても量が多く、すべてやり切れるのだろうかと思いつつも、

なんとかこのハードルを越えることができました。

とうとうあと受験まで2か月となった時から、より集中的に過去問で対策を始めました。

1月は午前中から夜まで先生がつきっきりでいてくれて、とても感謝しています。

 志望校 1回目、偏差値が一番低い日に受けたが緊張で力を発揮しきれませんでした。

気持ちを切り替え「絶対に受かる!」と心に強く刻んで、2回目に挑戦しました。

試験が終わってからワンズに行き次の試験のために勉強して帰るときに合格したことを知り、

「今まで頑張った成果が出て本当に良かった」と喜びがこみあげてきました。 

合格できたのは先生のおかげだと感じ、とても感謝しています。

本当にありがとうございました。

高輪中学校合格 2023年合格 (保護者)

 中学受験を考え、小学校低学年から大手塾に通っておりました。

4年生あたりまでは中位クラスでしたが、コロナ禍により小学校は休校、塾がオンラインに切り替わり、そのころから徐々に成績が下がり始めました。

通塾が再開しても一度下がった成績は一向に上がらず、親子で塾の復習に追われ、テストも惨敗。

努力していることは分かってはいるつもりでも、それが結果につながらず、子どもに対して成績のことでつい声を荒げてしまうこともありました。

受験まで一年をきった頃にはこのまま受験を迎えてしまうのかと思うと苦しく不安しかありませんでした。

 中学受験をやめようかと考えたこともありましたが、子どもが中学受験をしたいと強く希望したため、6年生の春に思い切ってワンズに転塾しました。

大手塾と比べて少人数で長時間の授業、決して楽ではないはずでしたが弱音を吐くことなく通い続けました。

特に夏休みなどは朝から夕方までずっと授業です。帰宅後も夕食をとるとすぐに宿題に取りかかります。

12歳の子どもがここまで努力しなければならない中学受験。この様子を見て、成績にこだわっていた私どもも、結果がどうであれこうして頑張ったことは決して無駄にはならないと思えるようになりました。

 志望校は成績を考慮しつつも子どもが進学したいと希望する学校から選びました。

冬休み、直前期もワンズに通い続け、1月の志望校には届きませんでしたが、気持ちを切り替え2月の受験に挑み、高輪中学校に合格することができました。

翌日の試験に備えワンズで授業を受けていたため、合格発表は先生と一緒に確認していただきました。

その日の帰宅したときの笑顔を忘れることは出来ません。

 春からは高輪中学校で鉄道研究会に入部することをとても楽しみにしています。

その様子を見ていると、親として途中で受験を諦めずに良かったと思います。

 厳しくも温かいご指導を頂き、本当に有難うございました。

高輪中学校合格(生徒)K君(2023年合格)

僕がワンズに通い始めたのは、小学6年生になってからだった。

大手の塾に通っていたが勉強しても成績が下がってきたので、授業にあまりついていけなくなってきたからという理由だった。

初めの頃は、通っていた大手塾とワンズの両方を掛け持ちしていたが、夏休みからは合格したいという気持ちも強くなり、ワンズ一本に絞ることにした。

夏の講習は指導も厳しく、正直乗り越えられるのかという不安も頭をよぎったが、合格したいという気持ちで乗り切ることができた。

毎月ある模試の成績は少しずつ上がっていき、1月は毎日ワンズに通って過去問を使って対策をした。

僕の第一志望は1月の挑戦校だったが、そこには良縁を貰えず、その悔しさをバネにして頑張り2月受験をむかえた。

少し緊張しながらも、終了後の手応えはあった。

ワンズで合格の結果を先生と確認した時は、「毎日ワンズで頑張って、本当に良かった」と喜びがこみ上げてくるのを感じた。

慶應義塾湘南藤沢中等部2016年合格(保護者)

娘は大手塾に通っておりましたが、

マイペースで自分が納得するまで前に進めないという性格でしたので、

理解できていないまま進んでしまう授業や、競いあって問題を解くことにとまどいを覚え、

自分のペースで勉強がしたいと言うようになりました。

そこで大手塾を退会し、元々算数の補習をしていただいていたワンズに全教科みていただくお願いをしました。

ここから娘の志望校合格に向けてのチャレンジが始まりました。

理解できるまでじっくり解説してくださり、楽しい会話もされる先生の授業は娘にとても合っていたようで、

夏期講習など一日の大半を塾で過ごすような時でも毎日楽しそうに通っておりました。

しかし、娘の受験は決して順風満帆なものにはなりませんでした。

マイペースな性格が災いとなり、時間をかけすぎて宿題が終わらない日々、

眠たい塾を休みたいと騒ぐこともあり、挙げ句の果てには受験をやめたいと訴えることもありました。

真剣に受験と向き合おうとしない娘をみて、中学受験は難しいかもしれないと先生に相談したこともありました。

しかし、その度に先生が今すべき大切なことはなにかを話してくださり、娘は前に進むことができました。

合格したいという強い意思を持ち、試験当日に娘が全力を出せたのは、

それまでに先生の教えを受けしっかり固めた土台があったからだと思います。

勉強だけでなく、途中で投げ出さないあきらめない心を教えていただき、

合格へ導いてくださった先生に心より感謝しております。

慶應義塾湘南藤沢中等部合格(生徒)S.N.さん(2016年合格)

私はワンズに通っていた期間が長く、3年生から通っていました。

通い始めた頃から、私は慶應に行きたいと思っていたことを覚えています。

しかし、今思えば他の子に比べて全然勉強していませんでした。

塾に行くのが嫌で大騒ぎしたこともあります。

受験をやめてしまおうと思ったことまでありましたが、

先生と一緒に、志望校のこと、将来のこと、勉強をすることの意味についてなど色々話しているうちに、

また頑張ろうと前向きな気持ちに戻ることが出来ました。

しかし、真剣に努力して勉強するという行動になかなか結びつかず、

このままでは合格できないかもしれないと自覚して焦りだしたのは受験直前のことでした。

もっと勉強しておけばよかったと、心の中で何回も叫びました。

焦る気持ちのまま迎えてしまった当日。

緊張しながらも、先生にアドバイスしていただいた算数のミスをなくすことを第一に考え、

また、私に合ったそれぞれの科目の点の取り方を考えながら、集中して問題を解きました。

すると、これまでにない手応えを感じることが出来たのです。

一次合格発表結果を他の学校の試験会場からなかなか確認することができず、

先生に結果を教えていただくことになりました。

「番号ありましたよ。」 の言葉に嬉しさより先に驚きがこみ上げてきました。

二次試験には苦手な面接試験がありましたが、

先生ご自身の出身校である私の志望校の話をたくさんしていただいたことで、

どうしてもこの学校に入りたいという気持ちがますます強くなり、

当日は緊張することも忘れ、自分の考えをしっかり話すことが出来ました。

そして、いよいよ結果発表です。

合格者の中に自分の番号を発見した時は、頭が真っ白になりました。

この嬉しさは言葉では表現できないくらい、今まで体験してきた中で本当に一番ものです。

そして、いつまでも心の中に残るものだと思いました。

この合格は、どんなに私が怠けてしまったり、挫折しそうになっても、一度として諦めず、

ずっと私を合格させることだけを考え、私なら受かると信じ続けてくれた先生のおかげです。

私を憧れの志望校合格に導いてくださり、本当にありがとうございました。

鎌倉学園中学校合格 2016 (保護者)

受験をするとはっきりと決めたのは9月。

子供自身で受験を決めたものの、なかなかエンジンがかからない息子に親は焦るばかりでした。

どうしたものかとよく先生に相談に乗って頂きました。

的確なアドバイスを頂けたり、家庭での勉強の仕方も教えて頂きました。

冬休みに入って、ようやく勉強中心の生活ができるようになり、

1月に入ってからは、朝7時からのスタート設定をして頂いたお陰で、

受験当日も同じリズムで過ごすことができました。

受験会場で別れる時、何て声をかけようかと沢山の言葉を思い浮かべたものの、

結局は『先生の言葉を思い出して‼』 と。

目標とする学校までは、届かなかったものの、

実力以上の学校に合格を頂けたのは、先生のご指導のお陰だと思っております。

これからの新しい生活に、成長に、期待しております。

本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

鎌倉学園中学校合格(生徒) N.T.君(2016年合格)

僕が大手の塾からワンズに通い始めたのは6年生になる頃でしたが、

受験をすることに対して気持ちが入っていませんでした。

しかし、勉強をしていくうちに意志が強くなっていきました。

これは先生の教え方が分かりやすく、楽しく出来たということが大きいと思います。

本番が近づくにつれて緊張感が増していきました。

そして、いよいよ受験当日。。。

今まで言われてきたことを思い出しながら臨みました。

僕が合格した学校を受けた感触は、あまり出来ていないように思いました。

そのせいもあったのか合格をお母さんから聞いたときは、驚いたと同時に目の前が明るくなり、

嬉しくて早く誰かに話したいという気持ちになりました。

その学校は、最後に受けた模試では全く偏差値が届いていませんでした。

それでも合格出来たのは、その学校の入試問題の特徴をしっかりと踏まえて、

ギリギリまで教えてくれた先生のお陰だと思います。

本当にありがとうございました。

慶應義塾中等部合格(保護者)

長い受験が終わりました。

中学受験は、本人が何故受験をするのか、またしたいのかを十分理解し、更に辛く厳しい受験勉強に耐えられるだけの精神力と学力、そして体力が揃った時に初めてスタート地点に立てるのだと感じました。

息子がようやくスタート地点に立ったのは、なんと6年生の12月でした。

それまでは「志望校に絶対合格したい!」と言う意志が見られず、漠然と何とか入れるだろうといったような安易な考えで、努力はしておりませんでした。

常に私は不安ではありましたが、これも息子の人生。

まだ勉強が出来る状態では無いのでしょう。

その時がきたら向き合うでしょうから、それまでは寄り添い見守ろうと決めておりました。

それが高校受験であっても良いと。

ただ、息子から時折「志望校対策だけはしておかなければ」という言葉を聞いておりましたので、入試までの最後の期間は過去問を見て頂ける先生を探しておりました。

その際にワンズの先生を紹介していただきました。

幸運にも、先生は志望校(慶應義塾)の学校を熟知しておられ、どんな些細な質問にも丁寧に答えて下さいました。

又、限られた時間の中で我々がすべきことを的確に指示してくださり、

親子の不安な気持ちは取り除かれ、自信へと繋がっていきました。

そして、どんなことも冷静に受け止めて下さるお人柄に、絶大な信頼を置いておりましたので、安心して受験に臨めました。

本当にありがとうございました。

先生との出会いが、息子を志望校(慶應義塾中等部)へと導いて下さったと思います。

慶應義塾中等部合格(生徒)Y.K.君(2014年合格)

合格発表当日、掲示板に自分の番号を見つけた瞬間、とにかく嬉しく満たされた気持ちで一杯になりました。

そして、最後まで諦めずに受験勉強に取組めたことを、今になって誇りに思います。

僕は小学4年生の時に大手の塾に入りました。

基本的に勉強があまり好きでは無く、家庭学習はほとんどせず、

授業に集中するだけの学習方法だったので成績は乱高下していました。

5年生を終える頃にも志望校が決まらず、目標の無いまま、ただ塾に通うだけの日々を何気なく過ごしていました。

そんな6年生の春、繰り返し読んでいた伝記より、「環境が与える影響の大きさは重要である」と感じ、

自分の進むべき道を見つけ、ようやく志望校を決めました。

しかし、その時点では偏差値が届いておらず、とにかく偏差値を上げることに集中しました。

夏になると偏差値は伸びクラスも順調に上がってきましたが、

はたして志望校対策はこれで足りているのかという疑問を感じ始めました。

志望校対策は受験の要であると考えていたので、苦手分野の克服と志望校対策を強化しなくては!

という焦りの気持ちばかりが大きくなっていきました。

しかし、僕は何故かいつも心のどこかで「何とかなるだろう」と、楽観的に考えるところがあり、矛盾していますが、

気持ちは焦ってもなかなか勉強には身が入りませんでした。

そんな時に出会ったのが「学習教室ワンズ」でした。

先生は、入試まで残りわずかな日々の中で、まず僕の学習意欲を引き出し、

何をすれば志望校に合格できるのかという最短最善プログラムを計画して下さいました。

先生は僕にプレッシャーを与えないよう、しかし真実だけをしっかり伝えて下さいました。

先生と毎日会話する中で、焦る気持ちが薄れ、周りの景色がちゃんと見られるようになってきました。

それは、先生が僕を特別扱いをせず12歳の男の子として普通に接してくれたからだと思います。

こうして、先生への信頼感が高まり、しっかり着いていけば、必ずその先に「合格」があると確信していました。

僕は勉強方法だけでなく、何のために勉強をするのか、その為にどうしなければいけないのか、

そして、目標を持って生きることの大切さをワンズで学びました。

そのお陰で、今幸せな時間を過ごしています。

合格に導いて下さった先生、そして今まで支えてくれた家族に心より感謝しています。

僕はこれからも生きることの意味をしっかり考え、

目標を持ってどんなことも諦めずにチャレンジしていきたいと思います。 

海陽学園合格(保護者)

最初はどうなるか(入塾時の成績、本人のやる気を含め)と思いましたが、最終的に志望校から合格を頂き、ほっとしたというのが正直な思いでした。

中学受験は親子の受験とよく言われますが、息子の本番までの過程を見ていると、本気で志望校に合格したいという気持ちが芽生えるのがもう少し早かったら、また流れは変わっていたのかもしれません。何せ、本人曰く、受験本番でやる気を出したとのことですから。

ワンズにお世話になり、朝から晩まで休むことなく、塾にいる時にどれ位集中していたかは甚だ疑問ではありますが、本番で本気を出して結果にも結び付いたため、決して無駄にはならなかったと、先生には感謝の気持ちで一杯です。

合格はあくまでも通過点で、本当の意味での勝負はこれからです。全寮制という環境下では、自由度は自宅から通学する他校に進学する友人よりは少ないでしょうが、少しでも辛抱強く、自分の目標を達成すべく頑張って欲しいと願うばかりです。

今後とも、宜しくお願い致します。

日本女子大学附属中学校合格(生徒)S.K.さん(2013年合格)

 受験から早一年が経ちますが、受験前の一ヶ月の事は今でも鮮明に覚えています。

四年生から六年生の前半まで大手塾へと通い、日々なんとなくごまかしごまかしに過ごしていたような気がします。

当時から行きたい学校はあったものの、宿題を行うことやテストの予習復習をすることすら疎かになりがちでした。

そんな私でしたから成績も悪く勉強は私を苦しめるものでした。

 六年生の夏、母の勧めでOnez(ワンズ)に通い始めました。

大手の塾では先生の話を聞かなければ授業もよく分からない上に、たとえ分からなくてもどんどん先に進むので、分かっていなくてもごまかしていましたが、Onez(ワンズ)では自分の力で「わからない」ことを「わかる」に変えていくことが絶対に必要となりました。

常に頭はフル回転で、辛いと思うことも沢山ありました。

ですが、授業で行うことが的確で、算数は「なぜそうなるのか。」がよく分かるので、嫌だった勉強も少し楽しくなりました。

おかげで今も数学では「なぜそうなるのか。」を意識する習慣が身についています。

 六年生の冬休みから受験までは、本当の「戦争」でした。

成績は上がったといっても元がとても低かったため、第一志望まで偏差値にして5から10程度足りていませんでした。

毎日のように朝から夜まで勉強する日々はとても辛くて、逃げ出したくなったこともあります。

その一方で、分からなかったことが急速に分かるようになり、学ぶ楽しさも知りました。

今、私にとって、あの日々はなくてはならないものだったと強く感じます。あの日々がなかったら、今の私はいなかったと思うからです。

 厳しくも優しく助けてくださった先生には心から感謝しています。

辛い日々を乗り越え、手に入れた第一志望合格は、人生の中で一番と言っても過言ではないくらいに嬉しかったです。

合格したと分かった時は号泣してしまったほどです。

その日から、もう一年以上が経ち、いつの間にか夢だった日々が日常になっています。

掴み取った新しい日常では、苦しいこともあります。

ですが、勉強が上手くいかない時、「あれだけ大変な勉強漬けの日々を乗り越えられたのだ」と自分を励まし、こつこつと努力をしています。

今の友達、先生、そして憧れだった学校の制服を着られている私に出会えたのは、偏に先生のお陰です。

有難うございました。

慶應義塾湘南藤沢中等部合格(生徒)O.Y.さん(2012年合格)

僕がワンズに通い始めたのは小学四年生のとき、ワンズの生徒第一号としてだった。一応中学受験を目指していたけれど、まだそれほどの自覚はなく、習い事の中の一つとして始めた。初回の授業は今でも覚えていて、先生が僕に付きっきりでフォークやスプーン、トランプを使って算数を教えてくれた。前に少しだけ通っていた塾では問題を解いて解説を聞くだけだったので、対話の中でクイズの様に教えてくれる授業が楽しかったことを覚えている。

先生の指導の中で印象的だったのは、「○○君は、消しゴムは使わないように。」と言われたことだ。当時の僕は、学校の授業と宿題しか勉強をする習慣がなかった。その為、問題を解く過程で間違えたときに消しゴムを使うのは当たり前だった。問題を解いて間違えれば消し、赤ペンで正解を書き入れるという作業をやれば勉強は終わりだと思っていた。しかし、先生は僕に消しゴムを使わせないことで、間違えの原因を確認し、それを修正するという一連の流れを習慣づけた。それ以降、なんとなく問題を解いて終わりだった勉強が、間違えた箇所を理解して次に解いたときには絶対に正解出来るようにする勉強に変わった。先生に勉強の本質を教わり、僕は消しゴムを使わないことが当たり前になった。

数ヶ月が過ぎて四年生の夏期講習が近づくと、先生の指導も次第に厳しいものに変わっていった。僕自身もその変化を感じ取り、自分が中学受験の渦中にいるという自覚がほんの少しだけ芽生えた。しかし、そんなとき、僕は今でも忘れない大事件を起こす。夏期講習の中頃に休講期間があったのだが、僕はその間の宿題を一切やらなかったのだ。家族旅行や友達と遊ぶのに夢中で勉強をほったらかし、気がついたら授業前日になっていた。その時になってようやく事の重大さに気づいたのだが、時既に遅く、非常に重い足取りで次の日の授業に向かった。その日は、自分が想像していた何倍も厳しく先生に叱られた。当時の僕には自分が受験という競争の中にいる自覚が全く足りていなかった。先生や両親が自分の受験を全力でサポートしてくれていることも分かっていなかった。だから、まだ勉強は「人からやらされるもの」であり、「サボりたいもの」だった。このとき、先生は僕を叱るだけでなく、次のような話をしてくれた。それは「受験は気持ちが一番強い子が受かる」という話だ。この言葉は、その後三年間、志望校合格までずっと言われ続けた。まず、先生は僕に「○○君は競争が好きですか?」と聞いた。僕は「負けた方が悲しい気持ちになるから競争は嫌いです。」と答えた。その後に先生に言われた言葉が「そうか。それでも受験は競争です。受験は気持ちが一番強い子が受かります。」だった。僕も含めた多くの中学受験生にとって、中学受験が人生で最初の競争になることが多いだろう。競争では、目標に向かってひたむきに努力し続ける力が求められる。時には、他人を押しのけてでも前に進む必要があるし、終わった後には勝者と敗者に明確に分かれる。友達と仲良くゴールというわけにはいかない。一方、競争に勝てたときは最高の喜びが得られる。努力して合格を勝ち取ることは一生の財産になる。先生は、こういった競争の厳しさと素晴らしさを常日頃から伝えてくれた。だからこそ、僕は「絶対に自分が合格する。」という気持ちを最後まで絶やさずに受験に臨むことが出来た。先生の指導を受けたからこそ、競争や勝負を前にして逃げない強い人間に成長できたと思う。

そして、五年生になる。先生に厳しく見てもらったおかげで勉強をする習慣はついていたが、それでも五年生の勉強量についていくのは難しかった。授業はもちろん、宿題も僕専用のプログラムを組んでもらい、それを消化するのに追われた。この頃には他の習い事もやめ、学校、食事、睡眠時以外の時間は全て受験勉強に費やした。自分がそうしたいと思ってやれていたと思う。そのおかげもあり、入塾時の外部模試では偏差値50に届かないぐらいだったのが、5年生後半には上位数%の成績を何度か取れるまでになった。努力が結果で見えてきたことで自信が付き、この時期は比較的良い状態で勉強を進められた。

そして、最後の年。六年生になる前から勉強時間はかなり多かったので、勉強面での変化はそこまでなかった。その代わり、精神面での苦労があった。それは、僕が慶應義塾の三校、すなわち、普通部・湘南藤沢中等部・中等部を受験することを望んだからだ。この頃の僕はとにかく慶應に合格したい。他の学校には全く興味がないといった状態だった。しかし、過去問や合否判定テストを受けていくと、合格可能性が数字になって出てくる。合格率はいつも40~50%前後だった。本番までのカウントダウンも始まり、焦りの感情が生まれる。成績が急に伸びることもなく、集中を欠いた状態で勉強を進めていた。そんなある日の授業時、あろうことか僕が無意識に消しゴムに手を伸ばしたとき、「消しゴムを使うな!」と先生に鋭い声で言われた。ハッとした僕に先生は「他の受験生は今この瞬間にも必死で勉強している。○○君がなんとなく消しゴムを使う数秒の間にも彼らと差が開く。逆に、他の子達が消している数秒間の積み重ねで彼らを突き放し、合格することが出来る。」と言った。この言葉を聞いて僕は我に返った。志望校に合格するには全国に何千・何万といるライバルに勝つ必要があり、その為には一秒も無駄に出来ない。こんなことは当たり前だ。しかし、不安や焦りが押し寄せてその意識が途中で薄れていた。自分の殻に閉じこもりそうなっていたが、先生の言葉でもう一度闘志がみなぎった。「ここまでやってきて他の子達に負けるわけにはいかない。」と強く思った。そこからは気持ちを入れ替えて勉強に励んだ。しかし、それでも志望校の合格率はなかなか上がらず、僕も両親も志望校のレベルを下げることを考えた。しかし、先生は「ここで志望校を変えたらこれまでの○○君の努力の意味がなくなります。私は志望校を変えることは一度も考えたことがありません。合格する力はあります。○○君なら本番でその力を発揮出来るでしょう。」と強く言ってくれた。僕は無条件でそれを信じることが出来た。

1月にお試し受験を受けた。成績通りなら普通に受かるはずの学校だったが、初めての入試でかなり緊張していた。試験会場に行くと、周りの人が全員とても賢そうに見えた。自分は大丈夫かと不安で胸がいっぱいになる。なんとか気持ちを落ち着かせようとしているうちに算数の試験が始まる。問題用紙を開く。解けない!算数は苦手科目だったがいつも以上に解けない。その後の試験はそれを引きずってしまい、手応えが全くない状態で帰宅した。結果は即日出た。「不合格」。お試しの学校に落ちたということでショックはかなり大きかった。不安がさらに広がった。しかし、先生は「○○君にとってのお試し受験は本番の緊張感を感じることができて結果としてプラスだったと思う。今ならまだどうすれば本番に緊張しないのか対策を考えられる。そもそも、その学校用の対策をしていないのだから○○君が100%受かるとは思っていない。でも、志望校の対策は完璧にやってきたはず。すぐにでも勉強を始めよう。」といつもと変わらぬ口調で言った。気持ちが一気に楽になった。そして、いつも通り机に向かった。後に両親も、このときは相当ショックだったはずなのに、すぐに次の勉強に集中していて驚いたと言っていた。

それからのことはあまり覚えていない。最後の二週間の僕は、一点のくもりもなく合格を信じ、完全に集中しきった状態で日々を過ごしていたと思う。

そして、壁に貼ってあるカウントダウンの数字が日に日に小さくなっていき、遂に第一志望校受験当日。すごく緊張したという記憶はなく、逆に頭がすっきりしていた気がする。先生と両親から見送られて会場に入った。受験番号は「102」番。自分の席を探して着席する。試験開始まで時間があったのでトイレの個室に入り、先生に言われてきたことを思い返した。「序盤の計算問題は絶対に取ること」「中盤の難問に時間を割きすぎないこと」「必ず見直しをすること」しっかりとやることを整理した。そして最後に自分に語りかけた「僕はこの会場の誰よりも努力してきた。負けるはずがない。やることをやるだけだ。大丈夫。」試験後、手応えはあった。苦手だった算数でいつもより点が取れた気がした。両親も試験後の僕の顔を見て安心したらしい。感触通り結果は「合格」。二次試験に駒を進めた。そして、二次試験は体育と面接。体育では、とにかく明るく元気にハキハキと振る舞う事を心掛けた。面接では、自分の好きなテニスの話をした。錦織圭選手について熱く語った気がする。面接官の先生も楽しそうに話をしてくれたのであっという間だった。全ての試験が終わった。自分の全力は出し切ったので、後は最終結果を待つのみだ。

最終結果は母と見に行った。ドキドキと不安でなんともいえない気持ちになり、お互いに口数は少なかった。掲示板の前で受験生とその保護者が大勢待っていたのだが、その場は静寂だった。時間になると、合格番号が書かれた板を持った先生陣が校舎から出てきた。心臓の鼓動が早くなって時間の流れがゆっくりに感じられた。先生の持つ板を目で追い続ける。そして遂に板がひっくり返された。それは一瞬だった。ドラマでよくあるような、番号を順番に辿って探す感じではない。その番号だけが浮き出て目に飛び込んできた。「102」。合格だ。嬉しさのあまり詳しく覚えていないが、とにかく母と抱き合って喜んだ。これ以上ない程嬉しくて、しばらく「102」の番号を見続けていた。気がつくと、周囲には喜んでいる人間と悲しんでいる人間がいて、数多の感情が交わる場所になっていた。僕と母は車に戻り、待機していた父と祖父母に合格を告げた。そしてもちろん、先生にメールを送った。返信はシンプルだった。「おめでとうございます。これからの青春を謳歌して下さい。」このとき初めて涙がこぼれた。

ワンズでの受験生活は本当にきつかった。他の受験生の話を聞いても、僕より厳しく熱心に指導を受けていた子はいなかったと思う。しかし、辞めたいと思ったことは一度もない。それは、先生の愛情を感じていたからだと思う。先生は毎日僕のことを見て、常に僕の成長を第一に考えてくれた。授業も宿題もテストもそう。厳しい言葉を投げかけるときも、その裏にはいつも僕への期待と愛情があったように思う。だからこそ、僕は先生に絶大な信頼を寄せていた。先生が「このままでは受からない。」と言ったら本気で危機感を覚えたし、「○○君なら大丈夫」と言えば絶対に受かると心から思えた。僕にとって、先生が一番の壁であると同時に、最大の心の支えだったからこそ乗り越えられた。この受験を通して、僕は先生になによりも大切な二つのものを貰った。一つは、努力して合格をつかみ取ったというこの経験。そして、もう一つは、勝負を前にして逃げない強い心。これからの人生でも、この二つを武器に頑張りたいと思う。

僕が受験を乗り越えて志望校に合格できたのは、一重に先生のおかげです。本当に有り難うございました。